秋田地方裁判所横手支部 昭和44年(ワ)22号 判決 1970年2月10日
原告 佐藤勇次郎 外三名
被告 国
訴訟代理人 岸野祥一 外七名
主文
原告らの請求を棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
原告ら訴訟代理人は「被告は原告らに対し金四〇六万七、一三二円および内金三五七万四、六九六円に対しては昭和四一年五月二〇日から、内金四九万二、四三六円に対しては同年一二月一日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」旨の判決を求め、請求原因を次のとおり述べた。
一、原告らは、いずれも農業をいとなむものであるが、昭和二六年一月一七日、原告らの居住する大久保部落の総会決議により、皆瀬川押切提防の北側に隣接する訴外龍燈神社所有の雄勝郡羽後町大久保字押切六三番雑種地八、〇一六・五一平方米(八反二五歩)および同所八〇番の一雑種地一〇、二三四平方米(一町三畝六歩)の合計一八、二五〇・五一平方米(一町八反四畝一歩)の土地を開墾して田地となし、じ後一〇年間無償で使用収益することをその所有者である右訴外龍燈神社から承認をえた。
二、そこで原告らは共同して右土地の開墾に専念した結果、同土地のうち一三、二二三・一二平方米(一町四反五畝歩。以下本件田地という。)の開墾に成功し、昭和三〇年頃には熟田に等しく一〇アール(一反)当り米九俵(五四〇キロ)内外の収穫をえるようになつた。
三、ところが、昭和三四年一〇月建設省(東北地方建設局湯沢工事事務所。以下建設省という。)は、本件田地の北側沿えを東西に流れる皆瀬川を改修するに当り、同川の本流を堰止めたので、同三五年四月二一日同川が融雪によつて増水し、ために本件田地は洪水の水路となり、あるところは高さ一米位の砂礫を堆積し、あるところは丈余の淵をつくり、みるかげもない荒廃地と化し、翌三六年四月二日再び洪水となり、又々砂礫の堆積をくりかえして流失した。
四、建設省は、皆瀬川の本流を堰止めれば同川が増水した場合その位置やその他の周囲の環境からして本件田地の流失することが必至と考えられる状況にあつたのであるから、右工事の設計を変更するか、又は充分な排水路を設け、もつて同川が増水しても本件田地の流失を防止出来るよう注意する義務があつたにもかかわらず、これを怠り、漫然と同川の本流を堰止めた過失により、季節的融雪現象も加わり、本件田地を二度にわたつて流失させ耕作不能の状態をかもしたものである。よつて、被告は国の機関である建設省の右不法行為によつて原告らが蒙つた損害を賠償する義務がある。
五、右のように本件田地が流出したことによつて原告らが蒙つた損害は次のとおりである。
(一) 積極的損害金 一三三万円
右は本件田地の洪水による被害の復旧工事に要した左記(1) (2) の費用の合計金額。
(1) 原告らは昭和四〇年秋訴外土木建設請負業清田義房に本件田地のうち三、三〇五・七八平方米(一町歩)の復旧工事を依頼し、整地、農道、表士扱の等開田工事をなし同年一一月一五日までに同訴外人に対しその工事費として合計金一〇五万円を支払い、同額の損害を蒙つた。
(2) さらに原告らは昭和四一年一一月末日までに残存未整地一、一五七・〇二平方米(四反五畝歩)のうち三、九六六・九三平方米(四反歩)の開田整地をなし、その費用として金二八万円を支出し、同額の損害を蒙つた。
(二) 消極的損害 金二七三万七、一三二円
右は本件田地を前記の事情により耕作しえなかつたことによつて原告らが喪失した左記(1) 、(2) の得べかりし利益の合計金額。
(1) 原告らは本件田地を耕作すれば一〇アール(一反)当り少くとも米九俵(五四〇キロ)の収穫をえることができたのであるが、前記流失後復旧工事を終了するまでの昭和三五年から同四〇年までの六年間本件田地を耕作しえなかつたため、別表一記載のとおり、肥料代、労力費を控除した純利益として合計金二五二万四、六九六円の得べかりし利益を喪失した。
(2) さらに原告らは、昭和四一年の一年間本件田地のうち復旧未了の一、一五七・〇二平方米(四反五畝歩)を耕作しえなかつたため、別表二記載のとおり、肥料代、労力費を控除した純利益として合計金二一万二、四三六円の得べかりし利益を喪失した。
六、よつて、原告らは被告に対し損害賠償として前記(一)、(二)の合計金四〇六万七、一三二円と内金三九六万六、六九六円(右(一)(二)、の各(1) の合計金)に対しては本訴状送達の日の翌日である昭和四一年五月二〇日から、内金九万二、四三六円(右(一)、(二)の各(2) の合計金)に対しては収穫終了および支出の後の日である同年一二月一日から各完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
被告訴訟代理人は主文第一、二項同旨の判決を求め、答弁ならびに主張として、次のとおり述べた。
一、請求原因一、二項は不知。同三項のうち建設省が皆瀬川の本流を堰止めたこと、同川が昭和三六年四月融雪によつて増水したことは認めるが、その余の事実は否認する、なお建設省が皆瀬川弁天地区河導整正工事に伴う仮締切工事により同川の本流を堰止めたのは後記のとおり昭和三六年一月から同年六月までである。同四項は否認する。同五項は不知。
二、建設省は雄物川水系における皆瀬川、雄物川および白子川の合流する付近が昭和二二年の洪水により河床の変化著しく、皆瀬川の流路は主として左岸側を流れ、雄物川左岸大久保部落に流心が直突し水害の危険にさらされていたので、昭和二三年より本格的な改修計画をたて、先ず同年より翌二四年まで皆瀬川右岸築堤、同二六年に雄物川左岸大久保築堤を各施行し、一方秋田県でも昭和二四年に皆瀬川左岸押切築堤を施行した。しかし、皆瀬川の流路を変えないかぎり右大久保築堤がなお決壊の危険にさらされていたので、さらに、建設省は昭和三一年より同三五年まで大久保築堤護岸ならびに水制工事を施行するとともに同川の流路を安定させるべく弁天地区河導整正工事を施行した。右河導整正工事とは皆瀬川が前記三川合流点付近において左右両岸に分流していたものを右岸側にその流路を統制するため右岸側の河床を延長九二〇米、巾六〇米にわたり土量五七、〇〇〇立法米の掘削を行なつたものである。そして、これに伴う付帯工事として皆瀬川を横断する下堰伏越(かんがい用水)工事の必要を生じ、昭和三六年一月から同工事を施行するに当つて同月から同年六月頃まで一時流水を左岸側(押切堤防北側)にうつすべく、本川内に仮締切工事を行なつた。原告らの主張する皆瀬川本流の堰止め工事とは右の仮締切工事を指すものと思料される。
三、原告らは本件田地の位置を押切堤防北側であると主張しているが、現在存する田地は昭和四一年に開田されたものであり、その以前は大小流石の散在する荒れ果てた川原であつて、建設省が前記仮締切工事をした当時は皆瀬川の水が常時流れていた場所であるから、昭和二二年の洪水以降その場所に本件田地が存在した事実はない。したがつて、右仮締切工事により本件田地が流失した旨の原告らの主張は建設省の右工事施行上の過失の有無を論ずるまでもなく失当である。
四、一歩譲つて本件田地が存在し且つ原告ら主張のとおり同三五年四月二一日の増水によつて該田地が流失したとしても、建設省が仮締切工事に着工したのは、前述のとおり、昭和三六年六月であるから、それは右工事着工以前のことであつて、同工事に起因するものではない。
五、又仮に本訴損害賠償請求権が成立するとしても、原告らの主張する建設省の不法行為の時期は昭和三五年四月二一日と同三六年四月二日の二回であり、原告らは遅くとも右二回目の不法行為時には本件田地流失による損害およびその加害者を知つたものというべきところ、原告らの本訴提起は右不法行為の時から三年を経過した後の昭和四一年五月四日になされたものであるから、被告の損害賠償責任は時効によつて消滅しており、被告は本訴において右時効を援用する。
六、以上の被告主張がすべて理由ないとしても、原告らは各人の本件田地に対する耕作範囲を特定しえないためその損害額として総額四〇六万七、一三二円を請求しているが、たとえ請求が同一の事実上および法律上の原因に基くものであつても原告ら各自の損害についてはそれぞれ特定して請求すべきであるから、このように概括的な損害額を掲げたにすぎない本訴請求は失当というべきである。
原告ら訴訟代理人は、被告の右抗弁に対する答弁ならびに再抗弁として、次のとおり述べた。
一、時効の抗弁事実は否認する。なお、原告らの主張する建設省の不法行為は本件田地が砂礫堆積の為耕作しえない状態が続いた昭和三五年から昭和四〇年まで継続してなされたものであるから、本訴提起までに時効が完成する筈はない。
二、仮に、被告主張の時から時効が進行したとしても、左の事由により中断したものであるから、結局、本訴提起までに時効は完成していない。すなわち、原告らは第一回目に本件田地が流出した翌々日の昭和三五年四月二三日、当時の東北地方建設局湯沢工事事務所十文字出張所長八嶋日出虎に対し、現地立会を求めたうえ本件田地の復旧工事ならびにこれを耕作しえなかつたことによつて喪失した米代金等の損害賠償について交渉したところ、同所長は「減水後調査し迷惑はかけない。」旨言明し、第二回目に流出した同三六年四月二日頃も「被害は弁償する。原告らに決して迷惑はかけない。」旨再び言明したので、原告らはその後も同所長と同様の交渉をくりかえしてきたが、同四〇年六月湯沢工事事務所長と最後の交渉をした際にも同所長は「損害は賠償する。」旨言明しており、結局建設省は原告らに対し、その具体的な数額を明示しないまでも、本件田地流失による一切の被害賠償の意思を表明しているのであるから、これは債務の承認をしたものというべきである。
被告は、再抗弁に対する答弁として、次のとおり述べた。
再抗弁事実は否認する、但し、原告らがその主張の日にその主張のような交渉を建設省との間でなしたことは認める。
証拠<省略>
理由
原告ら主張の田地の存否ならびに不法行為の成否の点はしばらくおいて、先ず被告の債務消滅時効の抗弁およびこれに対する原告らの時効中断の再抗弁について判断する。<証拠省略>ならびに弁論の全趣旨を総合すれば、建設省は、昭和三三年一二月から同三五年一一月まで、皆瀬川の改修工事の一環として弁天地区河導整正工事を施行したところ、これに伴う付帯工事として同川を横断する下堰伏越(かんがい用水)工事が必要となり、同工事を施行するに当つて同川内に仮締切工事を行ない、原告らの主張するように同川の本流を堰止めた(但し、その着工時の点は除く。)のであるが、その終期は同三六年六月であつて、右工事の終了した同月以降は同川が融雪等によつて増水しても洪水となつて原告主張の田地の流失するようなことはなくなつたこと、したがつて原告らは、同月以降何時にてもその主張する田地の復旧工事をなして再開田しうる状態となつたのであるが、その資金調達の問題や後記認定の原告らと建設省との間でなされた被害賠償についての交渉が成功しなかつたこともあつて、昭和四〇年秋まで復旧工事をすることなく放置していたこと、が認められる。
そこで、原告らの主張する不法行為の継続期間について考えてみるに、右認定の事実によれば、原告らのいう加害行為は建設省の前示仮締切工事を指すものと認めざるを得ないのであるが、右工事そのものは前認定のごとく同三六年六月には終了したことが明らかであり、又同月以降同四〇年秋まで原告ら主張の田地になお砂礫が堆積したままの状態となつていたことが右工事に起因するものであつたとしても、建設省においてこれを除去して原状に回復すべき義務があるものとは認め難く、従つて建設省が堆積した砂礫を除去し原状回復をしたかつたことを目して右期間中なお不作為による加害行為が継続したものとすることは到底できないので、結局において原告らの主張する本件加害行為は建設省が右堰止めを終了した昭和三六年六月をもつて終了したものといわなければならない。よつて原告らの、建設省の加害行為は洪水による砂礫堆積のため本件田地を耕作しえなかつた昭和三五年から同四〇年まで継続していたものであるとの主張は採用できない。
ところで、不法行為に基く損害賠償請求権は、民法七二四条により、被害者又はその法定代理人が損害および加害者を知つたときから三年間これを行使しないときは、その短期消滅時効が完成するものであるところ、被害者がその損害を知るとは必ずしも損害の全部を知ることを必要とするものでなく、いやしくも不法行為に基く損害の発生を知つた以上、その損害と牽連一体をなす損害であつて当時においてその発生を予見することが社会通念上可能であつたものについては、すべて被害者において認識したものとして同条所定の短期消滅時効はその全損害につきこのときより進行を始めるものと解すべきであり、このことは加害行為が終了した後においてその行為の結果たる損害の発生が長期にわたつて継続する場合においても同一に解するものが相当である。本件において原告らの主張する損害の内容は本件田地が流失したことによつて原告らが支出を余儀なくされた本件田地の復旧工事に要した費用と昭和三五年から同四〇年まで本件田地を耕作しえなかつたことによつて喪失した得べかりし利益であり、これらの損害は、加害行為が終了した後においてその行為の結果たる損害が遂年耕作可能期に至るまで長期にわたつて継続する場合であるけれども、いずれも右の如き加害行為に伴うことが常態とされる損害であるから、右加害行為の当時において社会通念上その発生を予見しうるべきものであつて、原告らが右加害行為のなされたことを知つた以上、これらの損害の発生を知つたものとみなして差支えない。そして原告らが本件田地の流失したと主張する昭和三五年四月二一日の翌々日から同四〇年六月まで建設省出先機関との間で右被害の賠償につき、しばしば交渉をくりかえしていることは後記認定のとおりであるから、原告らは遅くとも前記加害行為の終了した昭和三六年六月の時点においてはすでにその主張するところの損害および加害者を知つたものといわなければならない。
してみると、本訴損害賠償請求権は原告らが損害および加害者を知つたときである昭和三六年六月から起算し、三年を経過した同三九年六月の満了とともに短期消滅時効が完成したものというべきである。
原告らは右時効完成前に被告は債務の承認をした旨抗争するが、<証拠省略>を総合すれば、原告らは、第一回目に本件田地が流失したとする昭和三五年四月二一日の翌々日、当時の東北地方建設局湯沢工事事務所十文字出張所長八嶋日出虎に現地立会いを求めたうえ、本件田地の被害状況を説明してその損害賠償につき交渉し、その後同四〇年六月まで、右出張所長、さらには湯沢工事事務所長との間で、いくどとなく同様の交渉をくりかえしてきたが、右八嶋は、被害を賠償するように努力したいが、原告ら主張の位置に本件田地の存在したことが明確となり且つ田地の流失と建設省が施行した工事との因果関係が明らかにならなければ賠償するか否かを確答しえないので、調査の上善処する旨の回答をくりかえし、湯沢工事事務所長も、本件田地の存在や右河川工事の落ち度を確認しえないので賠償には応じられない旨の回答をなすのみで、いずれも物別れに終り、結局右の期間中建設省が本訴損書賠償債務の存することを承認したことはないことが認められ、右認定の趣旨に反する前掲<証拠省略>は前掲各証拠に照らして措信できず他に債務の承認のあつたことを認めるに足りる証拠はない。
そして本訴提起の日が昭和四一年五月四日であることは本件記録上明らかであつてそれは前記時効完成後であるから被告の時効の抗弁は理由があるものというべく原告の債務承認による時効中断事由の主張は之を排斥する。
よつて、その余の各争点につき判断するまでもなく、原告らの本訴請求は理由がないからこれを失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 阿部季 三好清一 平井重信)